「値踏みする」とは、値段を見積もってつけること、評価することです。皆さんの周囲にも1人や2人は、いるのではないでしょうか。「彼は、できる人だ」、「あいつは、使えない」など、他人を勝手に評価したり、品定めしたりする人が。
このタイプは、こうした他人を評価せずにはいられない性質を持っています。そもそも、人間を完全に客観的に評価することなどはできず、そうした値踏みも極めて個人的な評価に過ぎません。このため、冷静に考えれば、その自分の評価を他の人に聞かせるというのは、あまり意味はないはずです。
しかし、このタイプはどうしてもその自分の評価を、口にせずにはいられないのです。公務員社会は、ある意味では厳然たる階層が出来上がっていますので、こうした意識を強く持っている人は、意外に多いのです。
このタイプの心理を考えると、「他人を評価することで、自分の立ち位置を確認して、安心する」ということがあるように思えます。つまり、その人個人の勝手な評価の中で、上にいる人を見て「すごいなあ。かなわないな」と劣等感を覚える一方で、下にいる人を見て「自分は、あの人たちよりも上にいる」という安心感を得ているような気がするのです。「上見て暮らすな 下見て暮らせ」を体現しているということかもしれません。
このタイプは、なかなか厄介です。個人的な経験で恐縮ですが、実は、かつて自分の上司(部長)に、そうしたタイプの方がいました。まだ、自分も若くて経験も少なかった頃には、そうした他人の評価を聞かされて、「なるほど、あの人はすごいんだ」などと納得し、そのように判断できる上司を尊敬もしていました。
しかし、この上司が次第に出世、つまり事務方のトップになることばかりに夢中になっていきました。そして、それと同時に、以前にも増して、職員をやたら評価する言動に、次第に疑問を覚え始めたのです。そうした人物評価がいつも正しいわけでなく、あくまで個人的なものに過ぎないことが、ようやくわかってきたのです。それに同調するのも、反論するのも意味がないことに気付かされたのです。
結局、この方は、事務方トップに上り詰めました。その在職中には、お会いすることはなかったのですが、そのポジションを終えた後、ある飲み会でたまたま一緒になりました。その時の話は、今でも印象に残っているのですが、自分がいかに実績を残したかと他人の評価だけでした。
その姿に、憐れみさえ感じてしまうと共に、「かつて、自分はこのような人を尊敬していたのか」と、とても後悔したことを覚えています。もちろん、この自分の後悔もまた、自分の評価に過ぎないのですが……。
閑話休題。さて、こうした人を値踏みするタイプがいる一方で、この「値踏みする人」を「値踏みする人」もいます。その評価は、全く異なっていて、結局、人は勝手に人を評価しているだけという、当たり前の事実を思い知らされることになるわけです。まあ、これもこの世のはかなさの一端を知るということなのでしょう。
ちなみに、こうしたタイプへの対処法は、「ただ笑って聞き過ごす」のが最良かと思います。先に述べたように、それはその人の勝手な評価に過ぎないのですから。某お笑い芸人のように、「自分は、そうは思いません!」と張り合ったところで、得られるものは何もないように思うのですが、いかがでしょうか。
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