本来、自治体の業務は住民の福祉向上のために行われるものです。しかしながら、「何のために、 この業務・作業を行っているのだろう」と思うことが、結構あるものです。皆さんの中にも、次のような経験をした人はいるのではないでしようか。
①部長からの資料要求を課長が安請け合いしてしまい、本来は必要のない資料作成を自分がやらなくてはいけなくなった
②関係部署にメールで周知すれば済む内容を、係長の「紙で配布しなければ失礼だ」という謎の美学のせいで残業して準備した
③担当部署としては必要性が低いと考えているにも関わらず、首長が関係団体に配慮した補助金制度を作ることになり作業している
④既に結論は決まっているのに、「関係者が集まった会議で決定したことが大事」 との理由でムダに会議が開催される
このように、「仕事のための仕事」とは、仕事の本来の目的(行政で言えば「住民の福祉向上」)ではなく、「特定の人の立場や組織の体面を保つために行っている形式的な仕事」と言えそうです。これは、その仕事に従事させられている職員からすると、「何、やっているんだろう」、「この仕事に意味はあるのかな」と考えてしまうことがあるでしょう。
こうした「仕事のための仕事」は、すべてがダメとは言い切れないところがあります。例えば、④の場合、会議の最後に首長が挨拶や感想を述べることによって、これまで実施してきたことが終了することを内外に示すようなことがあります。
そうした場があることが、首長本人や関係者にとって意味があることもあるのです。準備する職員にとっては、まったく意味のない会議のように見える場合であっても、そうした意味が含まれていることがあるわけです。この点は、理解しておく必要があるでしょう。
しかし、基本的には「仕事のための仕事」は、避けるべきものです。これでは、本来の組織目的から、どんどん離れていってしまうからです。また、怖いのは、こうした「仕事のための仕事」が大事だと思い、これが目的化してしまう職員が出てくるのです(いわゆる出世志向の人に多い印象です)。こうなると、「住民の福祉向上」という本来の価値から離れてしまい、組織が組織として存続するためのあらゆる業務が目的化してしまうのです。
そもそも「仕事のための仕事」は、何の価値も生みません。あるのは、上の人の満足だけです。しかし、これを追求していたのでは、住民サービスの向上は望むべくもありません。現在行っている仕事が、「仕事のための仕事」になっていないか、見極める必要があります。
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